この文章は「月刊社会教育」の2019年8月号に掲載されたものです。
はじめに
私が暮らす釧路市は人口17万人弱の北海道東部の中心都市です。昭和40~50年代は水産業、炭鉱業で栄えていましたが、その時期をピークに基幹産業の衰退、人口減少、少子高齢化が進み、多くの生活課題を抱えています。また長年、生活保護受給率が高く、特に母子世帯が多いのが特徴です。今の日本社会において貧困のモデルとなる地方都市と言えるでしょう。そんな地域で私は2000年にNPO法人を立ち上げました。きっかけは、長女が偶然に重度の障がいをもって生まれてきたことです。たくさんの支援を必要とする長女とともに生きていると社会の中で起こっている理不尽なことや制度や支援の課題、そして何よりも社会的排除にある人たちへのまなざしを肌で感じることになりました。それは「生活課題と向き合わざるを得ない当事者」の感覚とも言えます。その当事者感覚が私の活動の原動力となり、地域で誰もが自分らしく生活するための取組を続けてきました。特にここ数年は貧困問題を抱える家庭で生まれ育った若者たちとの社会活動がライフワークになり、閉塞感が増していく支援現場にとっては一筋の希望となっています。その活動について紹介したいと思います。
見えない「枠」から自由になる
Frame Free Project(フレームフリープロジェクト 通称FFP)が若者たちとの活動の名前です。活動への思いについて若者たちが表現したものがあるのでそのまま紹介します。
「仕事をしていない、病気がある、学校に行っていない。」
FFP活動についての表現
私たちの抱える生きづらさは、まるで悪いことをしているように言われてきました。
私たちの存在は、肩書きや立場や思惑の前で、とるに足りないもの、なきものとして扱われ、生き方を指導されるだけでした。
それは私たちにとって何の意味もなさなかったし、それどころか私たちにとって「私」を見失う結果になりました。
運よく私たちの生き方を認め、サポートしてくれる人に出会えて、安心して食べて眠れる場所、社会的な活動の機会を得て、何とかやっていけるかもしれないと思えるようになり、徐々に自分らしく(自立)進んできました。
しかし、「私」を失ったことは想像以上のダメージとして、私たちの中で残り続け数多くの困難にぶつかることになりました。
何かをしても続かなかったし、積みあがっていきませんでした。
それが非常に歯がゆくもどかしかったです。
日々の活動を通じて、「私」を表現していくなかで他者とつながり、ようやく「私」が積みあがり、社会につながっている手応えを感じ、生きている実感が沸いてきました。
私たちが抱える生きづらさに着目した時、それは、実は社会の不完全な部分を映し出していることが見えてきました。
生きづらさがわかる私たちだからこそ、これからの豊かな社会を実現していく役割があります。
私たちは、多様な価値観の交流ツールとしての「フィードバック研究会」を手がかりとして、個々の価値観の枠の広がりから社会の価値観の枠の広がりへと発展する取り組みを展開したと考えています。
そして、自分たち一人ひとりにあった新しい働き方を地域と協力してつくっていくことを目指します。
プロジェクトを通じて、個人と地域の可能性を見つけ、誰もが豊かに生きることができる北海道をつくっていきたいと思っています。
スクールソーシャルワーカーとして直面した現場
ともに活動する若者たちの中心メンバーとは私が札幌市のスクールソーシャルワーカー(以降、SSWとします)の相談で出向いた定時制高校で出会いました。SSWがスタートしたころは、学校現場にソーシャルワークの必要性や専門性がすぐに理解されるわけでなく、非常にスロースタートでした。ぽつりぽつりと相談が寄せられ学校に出向き、手探りでSSWの役割や支援を進めていきましたが、定時制高校の先生たちの反応は他とは明らかに違っていました。定時制の高校には実に様々な課題を抱える生徒たちがたくさんいて、とりわけ生活保護をはじめとした困窮問題を抱える家庭の生徒も多く、先生たちは必要に迫られて教員の職域をはるかに超えるような福祉的な支援、介入をしている実態がありました。小中学校とは違い高校は後がありません。中退や卒業など学校を離れる後のことも見据えて養護教諭を中心に複数の先生たちでチームを組み、心配な生徒たちを支えていたのです。しかし、一方では学校でできる支援の限界も感じていたようでした。その歯がゆさを抱えていたところにSSWが登場したので、先生たちは「これだ!」と言わんばかりに次々と生徒たちを紹介してくれたのです。
貧困問題の核心
出会ったころの若者たちの家庭は貧困を含む複数の生活課題を抱えていました。自らの障がいやメンタルの問題、親の障がいやメンタルの問題、虐待やDVなどの暴力、犯罪の被害や加害、非行、不登校など、本来子どもにとって安心の場になるはずの家庭がサバイバルの場であり、毎日何とか生き抜いているような生活ぶりでした。一見、別々の問題が重なっているように思えますが、実は経済的な困窮の問題が根源的な影響力を持っているように感じています。親のリストラ、病気による失業、借金問題、生活費を得るための苦肉の策や無謀な行動などがどんどん他の課題に派生し、貧困状態が困難の解決を先送りさせ、負のスパイラルが進行します。
客観的な目で見るとそうした生活は絶望的な状況でしたが、不思議なことに本人たちは絶望したり、怒りや悲しみにくれたりしているかと言うとそうではありませんでした。多くの子どもたちが厳しい生活をごく普通に話してくれましたし、むしろ笑って元気に話してくれることもありました。子どもたちにとって自分たちの生活がスタンダードであり、それがおかしいとか理不尽だとか感じることもできなくなっているのです。
のちに経済学者のアマルティア・センが「適応的選好形成」という言葉を使っていることを知りました。人は長期間、抑圧的で希望を持てない環境に置かれると、その過酷な環境に適応してしまい、本来感じてもおかしくない感覚や感情を抱くことができなくなり、健康な自己選択や意思決定が阻害されてしまうという考え方です。相談で出会う生徒たちはまさにその状態でした。加えて多くの子どもたちは強い自責の念を抱え、恐ろしく自己肯定感が低い状況にありました。支援を受けることへの抵抗感や後ろめたさ、常に周囲からの評価におびえ、顔色をうかがい、自分を信じること、そして人を信じることにも困難を抱えていました。
若者たちと長期間付き合っていくと貧困問題の根深さがここにあることを思い知ります。貧困は一時的な経済的なダメージが問題なのではなく、育ちの中で本来なら空気や水のようにあるべきものが常に欠乏することにより、生活スキルや社会スキルを身に付けるためのチャンスが奪われることで、長期間にわたり健康的な心身の発達が阻害され、自由の獲得を困難にするのです。
自由を手に入れる学び直し
長期間にわたり健康的な心身の発達が阻害されたことが、先度の紹介したFFPの「私たちの思い」に表現されています。若者たちはこうも言います。
社会の中に漂う「正しさ」「こうあるべき」って何者なんだろう…
若者たちの言葉
「私にとっては”それ”が苦しい時もある。私はこんな風に感じて考えているのに…」
肩書きや立場の前で「私はおかしい人、間違っている人」になって「私」は消えてゆく…
消えていった「私」を取り戻すために今私たちは様々な試みをしています。学校現場で出会った若者たちは10年余りがたち、20代後半から30歳ぐらいになりました。釧路のNPOではそうしたニーズを受けて、金銭的な負担をせずに(あるいは、かなりの低い負担で)食事つきの住居を用意し、必要に応じて相談支援、就労支援、学習支援、様々な社会体験の提供をしてきました。そうした包括的な生活支援により、若者たちは少しずつ「私」を取り戻し、社会活動であるFFPは創造されました。きっかけは、「フィードバック研究会」という活動です。
「フィードバック研究会」は私たちが何となく当たり前だと思っていることを深く考える討論会で、大学のゼミのようなイメージです。「家族って何?」「普通って何だろう?」「恋愛とは?」などなど、何となく普段使っている言葉の中身をそれぞれの経験や価値観に即して、深めていきます。そうすると、実は同じ言葉を使っているのに、実はそれぞれ違ったことをイメージしたり考えたりしていて、同じではないことに気づきます。フラットな場で意見交換することで、自分の価値観を知り、他の人たちの価値観も知ります。そのことで、自己理解や他者理解も進みます。今まで自分が当たり前だと思っていたことが、自らが感じたり考えたりしたことではなく、誰から強い影響を受けていることに気づきます。最初は影響を受けている相手が親だったり先生だったり身近な大人であることに気づきますが、議論が進むと、親や先生と言う個人の問題ではなく、自分たちを含めて人々が見えない「当たり前」に縛られていることにたどり着きます。
自分が苦しかったのは自分のせいではなかった。自分の生きづらさの原因が自分ではないことに気づくことは自己肯定感の低い若者たちにとっては大きな転機になります。もちろん、そう簡単はそう思えるわけではなく、時間もかかりますし、仲間同士の日常的な支えも必要です。そして、それがもう一段階進むためのポイントは、自分のせいでもないし、自分を苦しめてきたと思っていた親や周囲の無理解な大人たちのせいでもなかったことに気づいていくことだと感じています。もちろん親へ怒りや恐怖など負の感情を抱え続けてもそれは自然なことです。ただ、それとは別に自分に起こったことを社会的な問題と結びつけて理解するプロセスが社会の一員であることを自覚していくことにつながります。そうした自分をエコロジカルな視点や感覚でとらえられる経験が蓄積されることで失われた自由や可能性を取り戻していくのです。
「自分の課題」を「社会の課題へ」
「フィードバック研究会」自分たちの課題に直接向き合うのでなく、間接的に研究材料として自分から切り離して考えることができる機会として、導入時に効果を発揮します。しかし、若者たちは直接自分たちが抱える問題にも向き合わなければなりません。日々の生活での困難は簡単には改善しません。長年の課題から派生する数々の困難に日々付き合わなければなりません。いくら、議論をして背景がわかっても、実生活に学びの場がなければ困難は続いてしまいます。
自らの困難により現実的に近づくために、私たちは「講師派遣」という活動をしています。研修の機会に出向き、若者たちの実経験を教材にして支援者と一緒に学ぶものです。多い時は月に数回、研修の講師として呼んでもらい、いろいろな地域や支援者とともに学ぶ機会を設けてきました。参加する支援者の方たちからは「こんなに自分のことを語れるなんてすごい!」と驚かれますが、フィードバック研究会の経験が自分について語る力がついているので、当人たちはそう言われるのが不思議なくらい自然に自分たちのことを語ることができます。
さらにFFPの活動の柱はもう一つあります。それは「日常活動」です。これは非常にシンプルで日常を共に過ごすというものです。それを活動と呼ぶのもちょっとおかしな気もしますが、実はとても大切な活動であることに気づいていきました。例えば一緒にご飯を食べる、思いっきり遊ぶ、知らないところに出かける、しゃべるなど、そんな当たり前の日常場面を通じて笑い合ったり、時には感情をぶつけ合ったりします。それまで失敗を過剰に恐れたり、周囲の目を気にしていたり、自信がなかった若者たちが素の自分を表現する機会となります。日常活動は楽しいことばかりではなく、嫌な思いや失敗もありますが、それをまた振り返り、話し合う機会があることを知っているので、安心して新たなチャレンジができるのです。
これからに向けて
FFPの活動は2015年から、財団法人秋山記念生命科学財団の助成を受けています。財団の支援は3年間連続して活動資金の援助してくれることも大いに助かっていますが、年に一度の活動報告会で自分たちの活動についてプレゼンテーションすることが成長を後押しする貴重な機会になっています。助成期間は3年でいったん終了しましたが、まだまだ発展途上にいた若者たちに再チャレンジの機会を与えてもらい、さらに3年間の助成を受けることになりました。今年は第2ステージの2年目となります。
もともと、活動の一つの目標として仕事づくりを目指していましたが、偶然、去年の春に自立援助ホーム、グループホーム、そして自分たちの下宿が一体化した拠点の運営を担うこととなり、日常活動が本当に日常となり、仕事となりました。ひきこもりで仕事に出られなかった若者が一緒に暮らす車いすの青年の介護を仕事にしながら、人との関わり合いについて考えたり、ギャンブル依存に今も向き合う若者が育ちにつまずき心も行動もあれている10代のメンター役になったり、母親との共依存の中を生き抜いてきた若者がいろいろな大人と関わることで多様な人間関係のあり方を実感したりと、日々様々な相互の学びがあります。そうした日々織りなされるリアルな人とのつながりが多くの可能性のもとになっています。実際の運営には大変なこともたくさんありますが、ともに成長できることに私自身がもっともエンパワーされ続けています。機会がありましたら、ぜひ、釧路の若者たちの活動拠点に遊びに来てもらいたいと思います。