「なんで3月11日前後になると身体反応が強く出てしまうのか」研究会

3月10日、私たちは年度末の活動報告会をオンライン開催していました。
「がんばって作った映像が再生できない!」などのトラブルは発生しつつも、とても充実した時間になったと思っています。
午前中から夜まで続く会の最後に参加メンバーで話をしていると、「もっとみんなで話したい」という声が上がりました。
「じゃあ、部活として勝手にやればいいじゃん!」というとことで、「思い立った人が『今回はこれがやりたい』とグループチャットに書き込みして参加を募る」「時間になって気が向いたら参加する、出入り自由な感じ=くしろっぽさを大切にする」というスタイルで、あえて枠やルールを作らない部活をはじめることになりました。

この翌日である3月11日、さっそく最初の呼びかけがありました。その文章や参加者のメモ、参加できなかった人の感想などの断片をつなぎあわせて、記録として残しておきます。

部活がはじまる前にあったこと

ちかさんがLINEで開催を呼びかける

ちかさんからグループに投稿があったのは、朝の8時17分。この日は東日本大震災の発生から10年の日でした。

ちか:おはようございます
急ですが、今日の15時〜17時半くらいでいっしょに研究会できる人いますか?
身体反応も感情の一部なのかなと思うのですが、そんな身体の感情?について研究したいなぁとふんわり思っています

10年前の3月11日は、今の私にとっては人生のひとつの節目の日でした。
今年も3月に入ってからネットとかテレビとかから震災の情報が増えてきて(自分でも避けるでなく、あえて見にはいってます)たぶん、明日からは、急にまた熱量は減る気がするのですが、、
今の私は、震災が悪の根源みたいには思っていません(思ってた時期はあるし、今も全く思ってないわけではないです)あくまで、卒業とか入学とか引っ越しとかに近い、節目みたいに思ってます。
ただ、この時期に情報に触れるたび、身体が固まる、めまいや手のしびれ、頭がガンガンしたり心臓の音がうるさくなる、涙が出てくる、お腹や喉など身体のあちこちが潰される、、などなどな感じになります(こういう反応は年中あるけど、この時期の特有感はあります)

教科書やネット上の用語を借りれば、こういうのは『アニバーサリー反応』というらしく、それで、「誰にでも起こります」「普段と変わらない生活を心がけましょう」「情報を入れすぎないように気をつけましょう」「信頼できる人に話をきいてもらいましょう」「症状が続くときには精神科やカウンセリングを活用しましょう」らしいです(引用元は混ぜこぜです)

出てしまった自分の身体の反応を意識して止めるのは大変です。でも、そもそも反応が出る意味が理解できません、、
↑に書いてあるみたいな対応は散々やってきました
今日は、話を聞いてほしい!とかではなく、、
『今まで震災に限らず死にそうなことなんて散々あったし、そもそも3月11日って日にち自体誰かが作った記号みたいなものなのに、なんでこの時期に身体の反応はより強く出てしまうのか。。』の共同研究してくださる方を募集しています

このメッセージにいくつかの反応があり、15時から、はじめての「部活」がオンライン開催されました。

部活中にあったこと

参加者は8人。時間は2時間ちょっと。発言はせず聴くだけの「ラジオ参加」のメンバーもいました。
最初にもんまくんが資料を共有しながら、さまざまな仮説を説明してくれました。
ちかさんのおさそい文を読んで気になったことを、直前に調べてきてくれていたのです。(仕事の速さにみんなで驚きました!)

もんまくんの資料

「短時間で裏を取ることまではできていないため、あくまで話題提供として聞いてほしい」ということでしたが、インターネットに掲載されている文献などから調べたことを説明してくれていました。
(当初シェアしてくれた文章は、実は途中までしかペーストできていなかったのですが、あまりに情報が充実しすぎていたため、最後のほうまでだれもそのことに気づきませんでした……)

アニバーサリー反応について
2013年1月渡部 スクールカウンセラー
アニバーサリー反応と状況と説明
 まずストレスがかかってる状況、節目の時期になると収まっていた反応が再熱、本人が落ち着いても周りの大人やマスコミが影響 するパターンもある。程度の差はあれ誰にでもほぼ必ず起こると考えてよい。
症状 イライラ、感覚過敏、勉強に集中できない、ぼーっとする、寝つきが悪い、怖い夢、体調不良、じんましん、不注意、いざこざ、 保健室登校   トラウマ反応 情報反応→記憶の問題  再体験:自分の意志とは関係なく思い出す。
仮説 記憶の構造上で脳が反応する部分があり身体や精神に影響がおきているのではないか

記憶について】
吉田 記憶には2種類、陳述記憶と非陳述記憶 言葉で説明できる記憶とできない記憶
非陳述記憶は1度脳の中で成立すると消えにくい いつまでたっても保持できる 例 音楽とか自転車
この中で体験者が言ったエピソード
カップ麺をとって思い出した その時嫌な記憶もよい記憶も苦い記憶も関係なく出てくる

非陳述記憶の種類で非連合学習がある
非連合学習 1種類の刺激に関する学習。
3-7歳の脳記憶に脳の悪い習慣を断ち切る間引きの期間がある

ウエザーニュースの統計 減災調査2021
20代未満ははっきり覚えてるは39パーセント ほとんど覚えてない21パーセント  いっきに
20代からはっきり覚えてる73パーセント ほとんど覚えてない2パーセント
年代があがるにつれはっきり覚えてるが増えていき ほとんど覚えてないが1パーセント

記憶を支える身体反応
◆寺澤
感情には快と不快以外に覚醒 覚醒は興奮と鎮静 興奮してるときは心臓バクバク 鎮静の時は脱力感のように

覚醒は身体症状に影響するのではないかという説
高い覚醒状態を得たイベントはのちに思い出されやすい
覚醒には扁桃体がつかわれる。扁桃体の役割には記憶固定の役割。

島皮質
情動における役割。収束した情報を処理し感覚的な体験のための情動に関連した文脈情報。
島皮質は喜怒哀楽や恐怖の感情の体験に重要な役割。
まとめると非陳述記憶の部類で、感情の記憶が島皮質、覚醒には偏桃体→記憶固定の役割、運動には大脳皮質。脳の機能の連動で身体の反応はより強くなる。
要は脳の記憶処理の問題 
関連記憶で反応しそれは非陳述記憶になるから動けない体が再現されるのではないかという仮説 

311という記号についての認識 記号的認識論の試図 今田
記号は大きく分けると「与えられたものを受け取る作用」と「考え出すことによって与える作用」で
認識は事柄の単なる事象ではなく論理的判断によって肯定、否定によって心的意識作用と独立の論理的価値

正高2007
人間の数字認識は左前頭葉後部中央付近
割と全部脳の中央付近

ゲームデザインブログから
人間は3から4の間に認識の壁がある
仮説を書いた人がいる
例えば3色信号、大、中、小 過去、現在、未来
3と1と1の組み合わせが覚えやすく記憶しやすい説。

震災とメディアのありかた
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したのか世論調査
被災当初はラジオがほとんど、sns使える人は地域情報をひろっていた、 メディアとしては原発事故の深刻さがメインの人も  インターネットでテレビを補完。  snsは有効になってた人も多数。 不安が多い中情報
コロナ当初と似てるなあていう印象。
テレビは即位性、ネットは信ぴょう性は低いが地域の情報収集   ソーシャルメディアを使える人と使えない人で情報格差。

みんなで話したことのキーワード

人間の認識の話/マジックナンバー/脳/想起/トラウマ的な過去と付き合うためのモデル/呼称/ACばかりになった10年前のテレビCM/キャッチーなものな過敏な人には入りやすくなりすぎる?/「がんばれ東北」はだれのための言葉だったのか/情報格差(ソーシャルメディアを使えるか)/直面すること/避難所格差/被災者らしさを求められること/記号化によって生々しさが減る?/理解してもらいやすいストーリーとそこからこぼれるもの/身体反応/循環器系/消化器系/神経系/つらいのに自ら刺激に入っていく/苦痛を抑え込むともぐらたたき状態になる……

部活のあとにあったこと  

部活のあと、感じたことを思い思いにシェアする

さーさん:話の中で思い出したのはこの辺の本でした
・『徴候・記憶・外傷』中井久夫
・『インフラグラム』港千尋
・『想起のかたち 記憶アートの歴史意識』香川檀
・『わたしもじだいのいちぶです』
・『プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に』プリーモ・レーヴィ
・『物語の役割』小川洋子
・『濃霧の中の方向感覚』鷲田清一
・『イメージ、それでもなお』ディディ・ユベルマン
・『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』岡崎京子
・『想起の文化 忘却から対話へ』アライダ・アスマン

ひとみ:ちかさんの朝のお知らせを読んでから、自分の中で初めて震災がリアルに感じる(地続き感を感じる)ようになったなぁと感じてます。今日の議論を聞きたかったなぁ。

ちか:記憶を脳の構造から考えていけたのはおもしろかったです。まさに研究って感じでした
記憶の過程 記憶の種類 復習しよう!の気持ち
20歳未満:震災の記憶あいまいになっている人が大半
3歳〜7歳の頃の脳はいらない記憶消されやすい 幼児期健忘

震災の記憶を考えた時、震災に直接関係ないように見えることも連鎖的に思い出して様々な記憶で押しつぶされるから余計に苦しい。でも、震災の記憶からありありと連合的に思い出されるのに忘れていることも多い。東日本大震災前の呼び名があったのは忘れてたなぁ、、
100人死んだ災害と昨日の交通事故死で、人が死んでるのは変わらなくても100人死んだ方がインパクトが大きく感じてしまう
日々のつらいことよりインパクトがあるしストーリーとして伝えやすい

分かりやすい、伝えやすい自分が選んだ記憶のストーリーの中に選んでない、触れられない記憶がある 
触れるのは怖いけど触れ方はひとつじゃないし、気づいてそっとしておいてもいい
『311』抽象化 3は4より認識しやすい(赤青黄) 抽象化(冷凍保存、イラスト、圧縮)することで生のまま直接向き合わなくてよいメリットはありそう
→玉ねぎ 生だと辛いし切ったら目が染みるけど、炒めたら美味しく食べられたりする

鳥になってみたら?
100年後のイギリス人からみたら?
そういえば、同じように震災を思い起こすけど、毎年微妙に感覚や見え方が変わる感覚がある
『911』、阪神淡路大震災、熊本地震、胆振東部地震をどう見えてただろう

どうやら、身体の感情には循環器に出やすいタイプ、消化器に出やすいタイプ、呼吸器に出やすいタイプ、神経系に出やすいタイプなどさまざまありそう。でも混合型が結局多いのかな。とりあえず出さなくするより、感情や身体感覚の変化があるなーって思えたらいいのかな。ちゃんももさんが肩こりになっちゃったらごめんなさいの気持ち

報道のあり方
不安の煽り 日々変わる情報 今のコロナと似てるところは多そう
困ってる、って言うのを求められたり答えが決まってるインタビュー
がんばれ東北の違和感
キャッチーなところを強く伝える(見てもらう工夫だから仕方ないけど、、)

あと、振り返って
昨日、毎年雨で家が流されるアフリカの2つの国の話をしたけれど、わたしはどちらかといったら、家は流されてないんだけど床上浸水しちゃった国に近いかなって思ってます。「助けて」って言ったけど「流されてないから大丈夫でしょ」って言われてしまいます。でも、途方にくれてたら、最近は、「うちも家具使えなくなって捨てるから一緒に運び出そう」とか、「大量に買ったぞうきんあるからどうぞ」とか言ってくれる隣国の人たちに出会えてる気持ちになりました。

泉:振り返りを聞いているだけでも学びがありますね、部活パワーすごい。

部活のすごさは、与えられたものではなく一から自主性なところから生み出されるパワーがすごいと思いました。
そもそも人が自主的に何かをやる、って大変なのに、他にメンバーが集まるからやりたかったことやためらってたこと背中押されるのかな?

僕は震災時に沖縄にいたりと、震災経験が、3年前くらいの北海道地震しかなくて、あまりピンとこないのが正直なところなのですが、
なるほど…と、思いました

ちか:わたしも部活にすごいパワーを感じました!部活だから文化系も体育系もあるし、全国目指したり、ゆるーく放課後の暇潰しだったりいろいろあるからそれぞれの使いたいエネルギー量でやるのがいいのかなぁとも思いました

何かを自分から『やってみよう』って言えるのは、必要にさいなまれている時だったり、下準備がある程度できていたりする時が多かった気がします(自分の体調・気分にもよる)
今回はそこまでどっちもなかったから、2時間くらいはLINE打ってから送るのどうしかなぁーって思っていました(わりとあるあるですが、、)。
でも、『だれも都合がつかなくても、急だったし、別にそれが嫌われるからとかではないような気がする。』『境界やIメッセージを学んだあとだから、きっとタイミングじゃないなぁとかの人は断ったり、そっとしておいたりしてくれるだろうし、誘うだけなら私の自由かな』って思えたから、えいってできた気がしました
そう考えると、このタイミングでグループができたことに意味はありそうだなぁ、、とか思ってみたりもしました