ライフスキルを考える、を考える

3日・13日・23日、「3のつく日」は教材を持って集合!
そんな掛け声で始まったのが「ライフスキルについて考える勉強会」でした。この連載では、2020年9月から翌年2月までの半年のあいだに取り組んだことを振り返ります。
連載の初回は、この勉強会の全体像をさらっと振り返ってみようと思います。
2020年6月に釧路に移住してきたばかりの参加者が、自分の座っていた場所から感じた範囲での振り返り記録です!

次回以降の記事は、この半年のあいだすべてのミーティングで記録を書いてくれていた自称「用務員のおじさん」こと市野さんが書くことになっています。

具体的な話

「ライフスキルについて考える」とあっさり書いてみたのですが、これは意外とイメージしづらいかもしれない……と私は想像しています。
今さら調べてみたら「ライフスキル」という言葉はWHO(世界保健機構)が提唱しているもので、全部で10種類あるのだそうです。
(意志決定/問題解決/創造的思考/批判的思考/効果的コミュニケーション/対人関係/自己意識/共感性/情動への対処/ストレス対処)
たしかに大切そうな感じはしますが、やっぱりあまり具体的ではないからか、「それがなんなの?」「それで……どうしたらいいの?」と言いたくなります。

ただ、ここで「ライフスキル」自体を掘り下げようとする……のは無謀なのでやめておいて、「ライフスキルについて考える」ために私たちが具体的にどうしたのかという点を明らかにしてみようと思います。
私がこれから書くのは以下の三つです。

  • 誰がしたのか
  • なにをしたのか
  • どうなるのか

これらの記述を試みることによって、FFPの活動の雰囲気やイメージ、肌ざわりがすこしでも伝わりますように……と願っています。

誰が=さまざまな形で「生きづらさ」について感じたり考えたりしたことのある人たちが

「私たち」というのは、ここではこのプロジェクトに関わる総勢約25人の人たちを指します。(出入り自由なので、正確な人数は不明です……笑)
それはどんな人たちなのかというと……

  • 10代20代の人もいれば、60代の人もいます。
  • 釧路で生まれ育った人もいれば、1000キロ以上離れたところから移り住んだ人もいますし、別の場所で暮らしているけれど(オンライン会議ツールを使って)一緒に考えたり話したりしている人もいます。
  • 性別もさまざまです。(性別はそもそもさまざまですが)
  • 自分がどうであるか、自分がどうでありたいかという考えもさまざまです。(自分を人ではなく珍獣だと表現する人もいました。これまたそもそもさまざまですね)
  • これまでの社会とのかかわり方、やってきたことや立場も多様です。例えば、「校長」「支援者」「障がい者」「社長」……さまざまな言い方、あるいは(本人が納得できないような)評価やレッテルで区別されたことがある人たちがいます。
  • 教材を見つけるとどんどん自分でやりたい人もいるし、みんなに置いて行かれないように頑張る人もいるし、やりたい気持ちはあるけれどなかなか進められない人もいます。ミーティングに参加したい人も、参加しにくい、むずかしい人もいます。
  • (おそらく)基本的に任意参加です。
  • (たぶん、私の考えでは)自分や、あるいは身近な人や関わる人を通して「生きづらさ」について感じたり考えたりしたことのある人がほとんどだと思います。

ちなみに私は20代後半・女性・発達障がい・腰痛持ちです。

なにをして=「生きづらさ」と「生きやすさ」の教材を学び共通言語を模索することで

教材「私を生きる」

私たちが使った教材は、アスク・ヒューマン・ケアという会社が提供している「『私を生きる』スキル 通信セミナー」というものです。
この教材は全部で3冊あり、1冊目が「境界と人間関係」、2冊目が「『わたしメッセージ』と感情」、3冊目が「セルフケアと人生設計」について学ぶ内容になっています。
テキストを読み進めながら要所要所の設問に答えていくのですが、たいていの場合は自分のことを振り返る必要があるため、人によって進めるのに苦労する場合もあったようです。
(他人事のように書きましたが、私も2冊目にはとても苦労しました)
また、1冊につき4回の提出物があって、提出しておくとコメント付きでお返事がもらえる仕組みになっていました。
(私は投函がとっても苦手なので、このあいだ8回分まとめて送りました……)

そして、これらをきっかけにして「3のつく日」に話し合いました。

3のつく日の前後のこと

「3のつく日」が近くなると、日置さんからメールが来ます。
メールには開催予定とともにアンケートがついているので、参加者はアンケートに答えます。
(私含め、答え忘れるタイプの人もちらほらいました。名前を書き忘れる人もいました)
アンケートには、教材の内容に関連するような質問(教材をやっていて感じたことや気付いたこと、今までの人生を振り返ってわかったことなど)が多かったような気がします。
とくに最初のほうは手探りだったので、ミーティングでは参加者の回答をもとに話をすることが多くありました。

後半に進むにつれて、「そもそも感情ってなんだっけ?」「計画って?」など、教材をきっかけにしながら、教材から離れて議論を深めていくことが増えたような気がします。
(くわしくは、市野さんの報告を待ちましょう!)

ミーティングはだいたい2時間くらいで、長いときはすんごく(具体的には忘れました)長くやっていました。別の用事で抜けたと思ったら数時間後に戻ってくる……なんて人がいることも。
みんなで一緒に話すことが中心でしたが、数人に分かれて、より個別具体的な話をする機会もありました。

共通言語

なんらかの形で「生きづらい」ことについて感じたり考えたりしてきた人でも、それを話すのはけっこうむずかしそうです。
理由のひとつは、「生きづらさ」は個人に還元されてしまいやすく(「生きづらい社会」でなく「生きづらい人」の話をしてしまいやすい……など)、そのため誰かと語るための共通言語を持ちづらいことかな? と思います。
そう考えてみると、私たちが教材にそれぞれ向き合い、考え、そしてミーティングで話し合ったことで、その「共通言語」を豊かにするための過程だったような気もしてきました。

どうなる=今後の実践と研究につながる

さて、書いていく中で、これが実際のところ「合っている」のか、すこし自信がなくなってきました!
でも少なくとも、これまで書いたことも、これから書くことも、すべて「そういうふうに参加者が感じた」という意味では正しいので、当事者研究に近いものだと考えてください。

すこし振り返ってみます。
さまざまな形で「生きづらさ」について感じたり考えたりしたことのある人たちが、「生きづらさ」と「生きやすさ」の教材を学び共通言語を模索することで……

どうなる?

どうなるのでしょう。共通言語を獲得して、そして?
その先は、今後の市野さんからの報告を待ちたいのですが……2021年2月末日現在の、私なりの個人的な実感を書いてみたいです。

「個人の感想」です。

まず解像度が上がりました。この世界には言葉にならないようなものがたくさんありますが、それに気づいて「(言葉にならなくても)ある」と思い続けることは結構困難です。
そういう生きものとして生きていて、言葉が増えることは、世界の解像度が上がることだと思います。
解像度が上がると、あるとき急に「どうすればいいか」がわかったりします。
イメージとしては「数独」を解いていくうちに、はじめは気づかなかったところを埋められるようになるような……。
(余計にわかりづらくなった気がする!)

このミーティングで話していく中で、私にはこの「あるとき」が何度も訪れました。
すると、自分の生活(実践)も思考もぐっと変化していきます。
これはたぶん、FFPの活動の中では何度も起こってきたことなのでしょう。
(個人の感想です。)

私の具体的な話に一般性や普遍性がなかったとしても、これらのメカニズムは本当だと思います。
「実践」と「思考」が両立しないと、きっとこうはならないのだろうなぁ。
その渦の中に人を巻き込んでいくような活動は興味深くて、「もっとこの中で活動を続けたい。一員になりながら参与観察を続けていきたい……」とエセ人類学者みたいな気持ちになるのでした。