「実験的な実践に取り組みながら検証する」ライフスキルセミナー振り返り(1)

この連載は、ライフスキルセミナーを参加者の視点から振り返るものです。振り返り1回目は、事業の説明も兼ねて送られたセミナー参加者への案内メールと、初回・第2回のミーティングの記録を掲載します。

「単に、受講するのではなく」参加者への案内メールに書かれたこと。(2020年9月5日)

この度は、通信セミナーのモデル受講への参加ありがとうございます。
今のところ、私を含めて23名のエントリーになっています。
モデル受講にあたり、連絡です。

この事業の説明
この事業は休眠預金を活用した「若者自立プロセス資源化モデル事業」という名前の3年間のプロジェクトの一環として実施します。

社会のいろいろな課題によって自立したくてもなかなかできない若者たちが苦労している中で、どのような支援や体制があれば、そうした若者たちが少しでも生きやすくて、自立できるのかいろいろな実験的な実践に取り組みながら検証するものです。

セミナーも有志の研究会の中で、WHOが提唱した「ライフスキル」概念が大事なのではないか?という仮説のもと、ライフスキルを高めるための講座として開発されたものを見つけて、試しにみんなでやってみよう!となりました。

単に、受講するのではなく、取り組む中で気付いたことや気になったこと、変化など、気付きや学びを残していき、今後の活動プログラムを考えるための参考にしていきます。また、このセミナーは生きづらさを持つ当事者だけではなく、いわゆる支援する立場の人たちも同じものに取り組み、人が自分らしく生きていくための普遍性を探ったり、支援する側にとって必要なことも併せて探っていく予定です。

進め方
お手元に教材が届いている人はわかっている通り、このセミナーは3つのコースがあります。
事前のアンケートで興味のあるものにランキングをつけてもらいましたが、先日、出版元の方と意見交換をしたところ、人によって進め方はあるけれど、もっとも苦労のない進め方はⅠ→Ⅱ→Ⅲという順番だとのことなので、Ⅰから順番に進めたいと思います。

まずは、教材を手元に用意して、それぞれ時間があるときにⅠ「境界と人間関係」のワークから取り組んでください。

ワークは基本、一人で取り組む形です。Ⅰはピンクの厚紙で4つに講座が区切られていますが、できれば1カ月で2講座が進められるとよいかと思っています。1講座終わったら、各自でクリアポケットに入っている「確認シート」を書いて、専用封筒に入れて主催者へ送ってください。 
切手は事務局で購入して、各自に配布したいと思っています。

送るタイミングについては、各自に任せると先延ばしになる人もいると思いますので、私もしくはこの講座受講の事務局をお手伝いいただく、市野さんから「そろそろ、送ってくださいね~」とリマインダー連絡をしようと思います。

ただ、だからと言ってどうしてもスケジュール通りに進めなければならないわけでないので、体調や忙しさなどで予定通りに取り組めない場合にはその状況を報告いただくことになります。

また、私の方から今回のエントリーを同じように取り組んでいる講座のワークについて簡単なアンケートを送ることも考えています。

ミーティング
それそれに取り組んだことや進捗を共有したり、記録するために毎月3の付く日(3日、13日、23日)にミーティングを実施します。

釧路市内はどこかに集まるようにしますが、遠隔の人または釧路市内の人でも家にいながらなどの参加ができるようにzoom参加も可とします。

会場参加でもzoomでも発言するもよし、聞いているだけでもよし、参加の仕方はそれぞれのコンディションに応じて自由です。ただし、月1回は必ず参加をしてフィードバックシート(私が準備します。フォームになるかもしれません)の提出及び簡単な面談に対応してください。

面談は私かお手伝いいただく市野さんが担当する予定です。

今月は9月13日(日)を第1回目とします。それまでにⅠの「境界と人間関係」の講座Ⅰ「境界に気づくとき」の内容を見ておいてください。

可能な人は確認シートを郵送しておいてください。(誰か早くやって送ってもらえたら、13日までに返事が返ってきてネタになるかもしれません。それにしても、ちょっと無理かな苦笑)

(中略:ミーティングについての連絡など)

では、皆さん、いろいろとよろしくお願いします!

はじめてのミーティングで境界川柳を作った。(2020年9月13日)

9月13日には、はじめてのセミナーが開かれました。
ひとりひとりがワークに取り組みはじめて、どんなふうに感じているのか……その感想や疑問点などを話し合いました。テーマは主に自他の境界。ミーティングの最後には、感想の代わりに境界についての川柳(のようなもの)を作りました。その記録が残っていましたので、一部ではありますがご覧ください。

踏み込むな ボーダーライン 越えてるよ

親と子に 居たら良いのに 測量士

境目は 振る舞いの中 ねりこまれ 伝え合わねば あいまいなまま

侵略のコツは 幼稚なふりをして 開示すること あきらめること

拒絶やだ だからできない線引きが 傷つきたくない でも傷つく

境界線 引けず悩む 毒親育ち

両親はやっぱりダメだな境界線 後の進みへ呪縛の根源

頼まれて NOは言えない 自己否定(ノーが言えないのは自己否定があるからだと気づいた)

時と場合 人にもよるが 軸は自分

侵略は するもされるも 生きづらい 育ちを辿れば ずっと曖昧

しゃべらない 人形ロボットになることが 境界を守る最適解

個々人の 価値観育ち 相まれば 感じ異なる 線引きもあれ

感情の 境界も多い 自分かな

境界は トイレの扉の ようなもの(強み弱み・メリット・デメリットを知って上手に使う)

褒められたこと、怒られたこと。それぞれの経験を共有した。(2020年9月23日)

この日は、「人の価値観の形成には幼少期に養育者に褒められたこと/怒られたことが影響しているのでは?」という話になり、みんなで「私は○○をしたら褒められて、○○をしたら怒られた」という形で書いて発表してみました。人によってかなり異なる経験を持っていることがわかりました。

私は母に、親戚が来て帰った後、必ず「おだつなよ!」って怒られた。もしくは無言で掃除機をかけ始め無視された。それが強烈な印象として残っている。

私は褒められたことも怒られたこともないですが、確かにいつもアル中の面倒を見ていました。特殊学級や不登校の子と仲良くしていたら、その親から涙ながらに感謝されたことがあり、そのことに母親はブチぎれていました。

どちらもあまりない。(褒められたことで印象的なのは、学校で親のサインが必要な書類を自分でサインして出したこと)

わたしは、母親の思い通りの成績や服装、友人関係でいないと母親から怒られました。父親からは、自分の意思がないと怒られました。母親が、母親の職場の人など村の人から私のことで褒められると、褒められました。

小さい頃に母の話を聞いてあげていたら母に感謝(?)された。放任主義気味だったので怒られた記憶はない(包丁を持っていたら怒られたくらい)

私は母に「学校で喋ってないんやろ、人付き合いしっかりしなさい、そんなんでは生きていけません」と怒られた。褒められるときは根拠がなく、期待を並べ立ててあたかも私が完璧である妄想をもとに褒められた?

親の思い通りのふるまいをできたとき(学校の先生やお客さんに対して)褒められた。
怒られたのは、自分で決めたことを勝手にすすめ始めたとき。

ものすごい寝グセは評価された(写真を撮ってくれた)。フォークをぶん投げた従兄弟のことは褒めていた。留年したことをギリギリに伝えた時「留年は仕方ないけど、早めに言いなさい」と言われた。

褒められたこと:「妹とちがって手がかからない」とは言われたかも。
怒られたこと:自分が分からないことを親に聞く(自分で調べろと言う)。親がしんどい時に声をかける。妹とけんかをする。

1つ1つにほめられた記憶は出てこない。スポーツや成績などで活躍?してたことを「楽しい思いをさせてもらった」と言われたのは覚えてる。母の常識とは違う価値観・思考を出すと怒られた。父からは身なりで怒られた。

明らかにほめられたり怒られたりされた記憶はないが、二男なので「人と違うこと」を目指せと期待された。期待に応えられないと怒るのではなく呆れられることで充分な罰を与えられた気がしていました。

先回りして動いていたから怒られることは少なかったが、褒められることもなかった。母には、兄とケンカしたら怒られた。仲良くしていると機嫌が良かった。

父母には、優等生の人気者であればほめられた。それらにあてはまらない、あるいは非行をすると怒られた。

祖父母にはだいたい褒められた。イカした身なりをしたら怒られた。

私は父親には機嫌のいいときには独想的だと褒められ、機嫌の悪いときには存在を否定され激怒されました。母には特別だと言われ続けました。

私は母の予想の行動をすると褒められて、母の思った通りにならないと怒られた。

私は親に相手の気持ちに沿うように行動したらほめられた。私は親に相手の嫌がることをしたら怒られた。

母親は、学校の先生とか、家の外の人の前では褒めたけど、家の中では常に怒られるか空気として扱われた。父親には問題児の側面だけ見られて常に怒られてばかりでした。


今回の記事は以上です。
次回は、10月~11月ごろのこと。これらの話から展開していく境界と「役割」などの議論を振り返る予定です。途中でとったアンケートの結果なども、抜粋してお伝えしたいと思っています。