「境界を学ぶ効果」「感情のトイレ説」ライフスキルセミナーを振り返って

 私たちは2020年度から3年間の助成金を受けて「若者自立プロセス資源化モデル事業」というプロジェクトに取り組んでいます。
 社会のいろいろな課題によって自立したくてもなかなかできない若者たちが苦労している中で、どのような支援や活動機会などがあれば、そうした若者たちが少しでも生きやすく、社会の貴重な資源として力を発揮できるのか、実験的な実践に取り組みながら検証するものです。

 プロジェクトが始まってすぐ「サバイバー研究会」という活動ができました。メンバーの中でも過去のトラウマの後遺症が強く残っている顔ぶれが集まり、自分たちの生きづらさについて文献など情報を探しながら理解を深めていきました。メンバーが身に付け、日々発揮しているのが「サバイバルスキル」であることにはすぐに納得。では、その逆は何かと調べていたところ、WHOが提唱した「ライフスキル」概念を見つけ、そのチェックリストを紹介していた「アスク」のHPにたどり着きました。すると「私を生きる」という通信講座をやっていることがわかり、試しにみんなでやってみよう!となりました。2020年の夏のことです。

 プロジェクトは単に既存の講座を受講することでは目的を達成できません。みんなで取り組む中で気付いたことや気になったこと、変化など、気付きや学びを残していき、今後の活動プログラムを考えるための参考にしていくことを目指しました。また、このセミナーは生きづらさを持つ当事者だけではなく、いわゆる支援する立場の人たちにも役に立つという触れ込みをヒントに、いわゆる支援者の立場のメンバーも一緒に取り組み、人が自分らしく生きていくための普遍性を探り、支援する側にとって必要なことを探っていくことにしました。通信セミナーなので遠隔メンバーにも参画を呼び掛けたところ、あっという間に25名ほどの協働学習グループが編成されたのです。

 セミナーのワークは基本、一人ひとりのペースで取り組み、アスクに返送するタイミングもそれぞれとしました。しかし、チームメンバーは定期的にミーティングを行い、進捗状況の共有や学びについて確認、議論する機会を設けることにしました。

毎月3の付く日(3日、13日、23日)にミーティング。釧路市内のメンバーは集まる会場を設けますが、zoom配信もするので、市内のメンバーも遠隔メンバーもzoomで参加可能です。会場参加でもzoomでも発言するもよし、聞いているだけでもよし、参加の仕方はそれぞれのコンディションに応じて自由です。ただし、月1回程度でフィードバックフォームによる意見や感想を送ること、必要に応じて個別面談に参加してもらうことにしました。つまり、プロジェクトとして効果検証のフィードバックをすることが参加の条件というわけです。9月に講座1をスタートし、プロジェクトとしてのスケジュールでおおむね2カ月で1冊進め、年度内にはすべての講座を終える予定としました。

境界を学ぶことの絶大なる効果

半年間で、最も反響が大きく、議論が盛り上がったのは圧倒的にⅠの「境界と人間関係」でした。初回のミーティングの最後に「境界川柳」を作ってみましたが、それぞれの経験がリアルに盛り込まれていました。2回目に実施したアンケートで『「境界」について学んだことが生活や仕事などの場で役立っていますか?』と聞いてみたところ、回答した23名のうち5名が「具体的に役立っていることがある」、12名が「何となく役立っているような気がする」と多くの人が手ごたえを感じていることがわかりました。

境界の種類を学ぶことで、「責任」と「感情」の境界が特に曖昧であることが明確になりました。それに関連して「ノーと言えない、断れない」悩みを抱えているメンバーが多いこともわかりました。また、学ぶ中でなぜ断れないのか理由も納得し、ミーティングで他の人たちの意見を聞くことで、自分と似たようなメンバーに安心し、違う考えのメンバーの意見に気付きを得ていきました。

また、自分の境界を理解するために自分が育ってきた環境や人間関係を学んできたプロセスを振り返ることができました。1カ月後のアンケートで家族の中で演じてきた役割について聞いたところ23人中「特に役割を演じていない」のが5名に対して「調整役」11人、「優等生」10名、「世話役」9名、「問題児」6名、「いないふり」4名と、多くのメンバーが複数の役割を演じていたことに気付きました。そうした気付きはすべてのセミナーを終えた後のアンケートでも具体的な「変化」として語られました。

『日々の生活の中で「ああ今は〇〇の境界に侵入されている」なとど気づくようになった。』

『境界を知ったので、断ることが楽になった。』

『取り組む前は、自身が相手に与える影響を重く考えていましたが、感情や責任には境界があることを学び、思考が少し軽くなりました。』

『一番感じたのはセミナー1の境界の部分で、わりと短期間で日常生活に変化が感じ取れたなぁと思います。境界を上手に引けるようになった、というよりは、振り返ってこういう境界は侵略しちゃうなぁとか、自分はここの境界が大事だから境界に入ってこられたからイライラしたんだな、みたいに境界を軸に考える頻度は増えたと思います。
もう一つ。普段から自分のキャラや相手が求める「私像」を勝手に想像して維持しようとして、自分の気持ちよりも求められてる発言を考えたりして苦しくなっていたことに気がつきました。』

感情のトイレ説

11月からは2冊目『「わたしメッセージ」と感情』に取りかかりました。感情を取り扱うこの2冊目に入ると、これまで感情に蓋をしてきたメンバーの中には続けることがしんどくなる人も出ました。そんな中でも定期的なミーティングはそうしたしんどさも受け止めあえる機会です。一人ではしんどい悩みも、みんなと共有、議論することで学びに変えることができます。

2冊目のセミナーを通じて、私たちは「感情」の本質について「本質観取」という手法を使って整理をしました。そこで導かれたのが「感情のトイレ説」です。

感情は赤ちゃんの「快・不快」から始まって、自然に出てくる生理現象であり、その出てくるものをどう処理するか、処理の方法を身につけていきます。処理方法は身近な対人関係と密接に結びついていて、出す相手(つまり感情のトイレ)をどう持つかが生き方に関係するのだという説でした。これは、多くのメンバーに響きました。

のびのび育ったメンバー(数少ないですが)は「感情は源泉かけ流し」、逆に抑圧してきたメンバーは「密閉容器で厳重に保管してきた気がします。」と表現しました。

子育ての中ではトイレットトレーニングと同じことが感情でも行われる必要があるのではないかと議論は進み、感情の出し方やタイミング、場所を安心できる相手から教えてもらえる経験が大切だろうという説に達しました。「よく出したねと褒められる時期があり、いつどこでどのように出したらよいか覚えていくプロセス」が必要なんだ!ということに気付いたのです。

するとメンバーからは「小さい頃、トイレのタイミングで怒られたことあります」「私には中学まで母というトイレがあったのに、高校になって使用禁止になったのでつらくなったのかも」「私は下剤が必要かも。強制的に出さないといつも限界」などと次々と「私の感情のトイレ事例」が出ました。あるメンバーが「私は、身近にトイレがなかったから、ノートに自分の気持ちを書いていた。ノートがトイレだったのかも?」と発言したところ、「それって、すごい適切なトイレだと思う。自家発電までしているエコなトイレ!」という意見も出るなと、大いに盛り上がりました。

ジェネレーションギャップで課題を再認識する

セミナーへの取り組みは年度末にいよいよ3冊目に入りました。3冊目では複数のメンバーから違和感が寄せられるようになりました。内容を聞くと、どうやら時代背景の違い、それに伴う価値観の違いへの違和感だということがわかりました。私たちのメンバーの多くは20代です。しかも、親や親たちの世代に価値観を押し付けられたことで苦しみ、そこから解放されたいと願い、活動をしていました。セルフケアが苦手で先の目標を描くことはできない世代にとっては目標設定を迫られることに圧力を感じたのです。あるメンバーは最後のアンケートにこう書きました。

(教材の中には)家族神話、恋愛神話、成長神話、男女二分論みたいなものが色濃く、時代錯誤な感覚が強かった。(中略)また、現在の社会の個人主義・自己責任論の強さ(それがスタンダードな思想として浸透していること)を再認識させられた。共同的・社会的な思想や生活様式は、本来の人間のあり方なのに、むしろ異端になってしまっていると感じた。個人が社会的な考え方をすればするほど、共同的な生活をしようとすればするほど、現在の「社会」からは排除されるようなジレンマがあると思った。
私は自分の心身と生き方をもって、現在の社会の病理を表出していると思ってきたし、今もそう思っている。しかし、世間の多数派(この教材も)は、「問題は私のもの」だと言う。これが自己責任論であり、これまでもこれからも私が闘っている対象なのだと理解した。

 今の社会の課題と自分たちが抱えている生きづらさの関係に気付き、そこに向き合ってきた私たちにとって、私を生きるセミナーは課題をより明確に理解把握する大きなきっかけや貴重な機会になりました。効果があったと実感する理由は多くのメンバーが言う通り「ミーティング」の存在です。ミーティングだけではなく、仕事や活動というコミュニティの中で「境界」「感情」「セルフケア」などというテーマについて共通言語が持てたことでした。まさに最後のアンケートにある「共同的・社会的な思想や生活様式」が身近にあったからに他なりません。この体験を次にどう生かしていくのか、それぞれのメンバーが感じて、考え、模索しています。その経験を共有する場をこれからもともにつくるために活動は続いていくのです。